続・北欧に学ぶ

ジェンダー comments(0) - withwestie

昨日、刊行されたばかりの本が届いた。

4月29日の記事でふれた『北欧に学ぶ小さなフェミニストの本』(岩崎書店)。

翻訳された枇谷玲子さんは、1980年生まれだそうで、まさに次世代の翻訳者だ。

10歳の女の子エッバが、新聞で「G8ジェノバ・サミット」の写真を見て、居並ぶ

権力者(日本は小泉首相)がどうして男性ばかりなの?と疑問をもつところから、

本書は始まる。

 

懐かしい出だしだ。私の世代もそうだった。新しい憲法のもとで法的に男女平等を

獲得し、選挙権も教育の機会均等も認められて成長しながら、私たちもエッバと同

じ問いを持った。そして戦後73年目の現在も、最も重要なものごとを決定する場に

いる女性の数はとても少ない。つい先日も「政治分野における男女共同参画推進法」

が成立したばかり。セクハラやDV、旧態依然の女性の「商品化」も無くならない。

「セクハラ罪はない」という摩訶不思議な閣議決定がなされる?というありさまだ。

平等実現に長い時間がかかることは、先刻承知ではあるけれど……。

「わたしはわたし、ぼくはぼく」(本書)。今の子どもたちや若い世代は、ありの

ままの自分でいられるようになったのだろうか。

見渡せば世の中の雰囲気はそれとは逆行している。周囲の期待に合わせたり「ふつ

う」といわれているものに妥協したりする。特に「男らしさ」「女らしさ」という

ジェンダー規範が、ほとんど無傷で生きのびている状況は無力感でいっぱいになる。

 

エッバは男の子も一緒にこの疑問を解くために「フェミ・クラブ」を作って話し合

う。するといろいろな「なぜ?」が浮かんでくる。それではこの「なぜ?」の状態

はどこから来たのか? 同じ問いをもった人たちはどうしたのだろう。こうして歴

史の学びが始まる。

日本のジェンダー学習の弱点は、私見ではあるが歴史的視点の不十分さだ。

「これはおかしい」「こうでなければならない」という「状況」と「正解」を提示

するのではなく、どのようにして不平等が形成され、先行世代はどう対処してきた

のかを学ぶことこそ、平等への道のりを次世代へとつないでゆく確かな方法。

これは子どもだけでなく、おとなの学習でも必須の視点だと思っている。

 

歴史を知っていれば、「ポップ・バンドで歌いたい女の子より、ハードロック・バ

ンドで格好よく歌ってみたい女の子」や「重量挙げの選手になりたい男の子よりも、

バレエをおどりたい男の子」が、努力や強い意志をもたなくてはならないというの

はおかしい、というメッセージはすんなりと受け入れられるだろう。

なお、私は本書中に「権力って何だろう?」と「支配の手口」という章が入ってい

るのに感心した。単一直線的な「男性による女性の支配」だけではなく、さまざま

な「関係性」の中で歪んだ支配が生まれてくることへの目配りは重要だ。

そして最後のページ。3月8日の「国際女性の日」に参加したエッバたちのフェミ・

クラブのスローガンは、〈わたしはわたし、ぼくはぼく。そのままの自分でいさせ

て〉。行進の横断幕には「国際人間の日」と書かれている――。

 

日本の学校でもこのレベルの副読本がほしいものだ。本書は子どもたちだけでなく

むしろ今の親世代に読んでもらいたいとも思った。

日本のジェンダー状況は確かにひどいけれど、決してゼロ状態ではない。気付いた

人が気付いたところから、自分にできる方法で、過去の女性たちの希望をつないで

次へ伝えてゆこう。枇谷さん、タイムリーな翻訳をありがとう。

 

 

 

 


 

 

  • 0
    • Check

    スポンサーサイト

    - - - スポンサードリンク
    • 0
      • Check
      コメント一覧
      コメントする

       

      無料ブログ作成サービス JUGEM